村上が警視庁に勤務し始めて最初の休日、

何をするでもなく昼過ぎまで眠っていた彼は、なんとなく目を覚ました。


部屋の片隅におかれたノートパソコンに目をやる。

警察学校に入学を決めたときからネット接続をやめて、

以来一度も開かれることのなかったそれは、いまや骨董品と呼ぶにふさわしい。

交番勤務を終えたら新しいパソコンを購入し、ネット接続を再開しようと考えていたので、

この日は起床の後、気力が充実してくれば秋葉原にでも出かけるつもりだった。

まともに働き始めたことだし、以前のように引きこもることもあるまい。


起き上がってトイレに行こうとしたとき、携帯電話が鳴った。

液晶をみると、『長槻興信所』と表示されている。

「・・・はい」

『ヒソカです』

「あ、どうも村上です」

『こないだの事件、報告書があがったんだけど、来る?』

「はあ・・・じゃあ伺います」

秋葉原にはまた別の機会に行くとしよう。


3時を少し回ったぐらいに、村上は長槻興信所へ到着した。

中に入るとカウンター奥に人影はなく、右側にある衝立の向こうから話し声が聞こえる。

「あの、村上ですが」

村上が呼びかけると、衝立の影からヒソカがひょっこり顔だけ出す。

「ああ、こちらへいらっしゃい」


奥のテーブルにはヒソカともう1人、女性がいた。

村上は空いているテーブルに腰を下ろす。

「このコはクナ。

 今回の事件を担当したエージェントよ」

ヒソカが紹介する。

「クナ、こちら警視庁の村上君」

「はじめまして」

クナはそう言って村上に手を差し出した。

「どうも」

出された手を握り返し、村上はそう応えた。

「さて、早速これに目を通していただこうかしら」

ヒソカは薄い書類の束を村上に渡した。


書類に一通り目を通し、顔を上げると、ヒソカの姿が消えていた。

どうやらデスクに戻ったようだ。

「あの、ちょっと訊いていいですか?」

「村上君」

「はい」

「敬語はやめていただけるかしら、多分あたしの方が年下なんで」

「あ、はい、あ、いや、うん、うん?・・・ま、いいや。

 あの、たぶんすごくどうでもいいことなんだけど」

「どうぞ」

「江戸時代の侍だったんだよね?田中君に憑いていたのは」

「ええ」

「じゃあ、拙者、とか、ござる、とかいってたの?」

「残念ながら。

 死んでから3〜400年も経ってるわけだし、人格なんて残ってなかったでしょうね」

「・・・どういうこと?」


ここで霊についての基礎知識を少し。

霊というのは簡単に言えば情報だ。

ある人の記憶や感情が、何らかの理由で死後も現世に残ってしまい、

それが何らかの形で具現化したものを、我々は霊と呼んでいる。

ただ、生前は脳を中心とした肉体が記録媒体となってそれらの情報を現世に留めているわけだが、

死後はその記録媒体を失う。

そこで霊は物や土地に憑き、それらを記録媒体に少しでも多くの情報を、

可能限り長期間残そうとする。

が、それらは脳ほど高性能かつ大容量の記録媒体ではないため、

時間と共に情報は風化してしまい、最後に残るのは、死の直前に抱いた最も強い感情となる。

今回の場合、刀に憑いていた侍の霊は、おそらく剣に対する執念じみたものだけで現世にとどまっていたのだろう。

それが田中少年の持つ負の感情と融合し、

あのような人格を作り出したものと思われる。


そして、執着の対象である刀を折られることにより、現世に対する執着が途絶え、

さっさと成仏してしまった。

もちろん、そのまま田中少年に憑いて現世に留まることも考えられたわけであり、

今回のケースはクナにとって、まことにラッキーだったといっていい。


しばらくして、来客があった。

黒ブチ眼鏡の妙に似合う、小柄な中年男性で、多少太っているせいもあってか、

一見したところ「丸い」という印象を強く受けてしまう。

「いやぁ、どうもどうも。

 こちら長槻さんの所ですかな?」

人の良さそうな、明るくかん高い声に、まず反応したのは村上だった。

「叔父さん!?」

村上は席を立ち、衝立の影から顔を出す。

「やっぱり叔父さんじゃないですか!

 お久しぶりです」

そういいながら、村上は客人に歩み寄り、手を差し出す。

「おお、村上君、しばらくぶりだねえ。

 元気そうじゃないかね」

村上の手を握り返し、客人はそう応えた。

クナは村上の叔父さんとやらを見ようと、衝立から顔を出す。

そこで目にしたのは、意外な人物だった。

「これはこれは丸山総監、お忙しい中お越しいただきまして、恐縮でございます」

村上が叔父さんと呼ぶ客人の正体は、最近話題の『ラッキー総監』こと、丸山警視総監だった。

「所長はいらっしゃいますかな?」

「ええ、ただいまお呼び致します」

おや、と村上は首をかしげた。

「ねえ」

いつの間にか自分の背後に立っていたクナに声を掛けられて、

村上は一瞬、息が止まりそうになった。

「・・なに?」

「アンタの叔父さんて、アンタのこといつも『村上君』て呼んでんの?」

「・・・いや、以前は『竜ちゃん』て。

 今は上司と部下だから、それなりにけじめつけてんじゃないかな」


しばらくすると、所長室から車椅子にのった長槻所長があらわれた。

儀礼的な挨拶を済ませたあと、丸山総監は所長に招かれて所長室に入っていった。


カウンターの脇に立ったまま、クナと村上の会話は続いていた。

「ねぇ、アンタやっぱ叔父さんのコネがあったから警察に入ったの?」

「ん〜、多分そうなんだろうなぁ」

「多分?」

「いや、自分で決めたわけじゃないんでね」

「どういうこと?」

「ん〜、まあ、色々と事情があってね」

突然、電話の着信音が鳴る。

クナがヒップバッグから携帯電話を取り出した。

「もしもし、涼子?

 ・・・・・着いた?

 ごめん、すぐ出るわ。

 ・・・・・いや、千絵はあたしが駅で拾ってくから。

 ・・・・・うん、じゃね」

携帯電話を切って、バッグに戻す。

「ヒソカさん、あたし帰ります。

 十段バーガー、忘れてないですよね?」

「ええ、覚えてるわよ」

「ついでに巧(たくみ)バーガーもお願いしますね」

「あら、アボカドは要らないんじゃなかったかしら?」

「気が変わったんです」

「はいはい」

「じゃ、村上君またね」

「ん?ああ」

ヒソカと村上に一声掛けたあと、クナは事務所を出た。

「・・・さて」

1人残された村上は、辺りを見回す。

ヒソカはなにやらデスクで作業を始めた様子だし、叔父は所長室に入ったまま出てくる様子はない。

報告書も一通り目を通して、やることもなくなったので、村上も帰ることにした。

「あの、俺も帰ります」

「ええ、またいつでもいらっしゃい」


村上が事務所を出ると、ちょうどクナが単車に乗ろうとしているところだった。

「あら、アンタも帰り?」

「ん?ああ、まあ」

「駅まで送ってこうか?」

「いや、歩いても5分ぐらいだし」

「コイツなら1分かからないわよ」

単車をポンポンと叩く。

「どうせあたしも駅に行くんだしさ、遠慮しなくてもいいのよ」

「はあ、じゃあ」

村上はこれまで、女性が運転する単車の後ろに乗ったことがない。

なんというか、妙に緊張してしまう。

もたつきながらも、なんとか単車にまたがった村上だったが、いざ座ってみて、手のやり場に困った。

腰に手を回すのは、少し気が咎める過去2〜3度、

友人が運転する単車に乗ったことがあったのだが、たしかそれはアメリカンタイプで、

背もたれのようなものがついており、それにもたれて腕を組んでいたことを思い出した。

「ねえ、どこか持つとこないの?」

「腰に手ぇ回しゃいいでしょうが」

本人が許可してくれたので、村上は、多少遠慮がちにではあるが、クナの腰に腕を回す。


若くて綺麗な女性が運転する単車の後ろに乗るということは、男にとって、

どうやらこの上なく幸せなことであるらしい、と村上は思った。

「変なとこ触ったら殺すわよ」

クナが操る単車は、驚くほど静かだった。















KUNA編 完